中溝ヶ里村
なかみぞがりむら
[現在地名]芦刈町大字芦溝字中溝
芦刈村の東方に位置し、堺川によって久保田(現佐賀郡久保田町)と境する。芦刈村よりも集落の成立は遅れ、戦国時代中期と考えられる。
中溝の乙宮神社は、天文五年(一五三六)領主の鴨打陸奥守胤忠が勧請したと伝える。鴨打氏は松浦党の出身で、鴨打美濃守秀が千葉氏に招かれ芦ヶ里に入ったという。鴨打胤忠は、元亀元年(一五七〇)今山の戦(今山は現佐賀郡大和町)の時、鍋島直茂の陣営に徳島盛秀らと馳せ参じた。鴨打氏の館跡は現在、宝泉寺があるところで、四周に堀が残る。宝泉寺には鴨打氏の墓石がある。鴨打氏の館跡は、このほか乙宮神社・永林寺(曹洞宗、万治元年渓雲創建)の境内とも伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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