中田切村・行徳村(読み)なかたぎりむら・ぎようとくむら

日本歴史地名大系 「中田切村・行徳村」の解説

中田切村・行徳村
なかたぎりむら・ぎようとくむら

[現在地名]利根町中田切

新利根川南岸に所在南西布川ふかわ村。ともに江戸時代の領主変遷は大平だいへい村に同じ。「各村旧高簿」によれば中田切村は明治元年(一八六八)には上総一宮藩領で村高五三・二五六石。旧村社稲荷神社は祭神保食大神。

行徳村は寛文年間(一六六一―七三)の新利根川開削に際して移転を命ぜられ、還住しなかったといわれる(→新利根川が、耕地は残存したらしく、元禄郷帳・天保郷帳に村名がみえ、「各村旧高簿」によれば明治元年には一宮藩領で村高三〇・六一四石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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