デジタル大辞泉
「新利根川」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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新利根川
しんとねがわ
利根町、稲敷郡河内村・新利根村・東村をほぼ東西に貫流して霞ヶ浦に注ぐ人工河川で、谷原新川ともよばれる。開削の目的は現龍ケ崎市以東に広がっていた低湿地(谷原領)および手賀沼・印旛沼(現千葉県)を水抜きして耕地化することであったといわれる。
「利根川図志」「下総旧事考」によれば寛文二年(一六六二)に松木村・行徳村などの村域を掘削する一方で、布川村と布佐村(現千葉県我孫子市)の間で利根川に堤を築いて塞止め、同六年に利根川の水は新利根川に流入した。しかし手賀沼・印旛沼の排水には成功せず、また新利根川は水位が低く、舟運にも適さなかったために、同七年(「下総旧事考」では同九年)に利根川の閉塞部分を除去して再び水を流し、新利根川の取入口を埋戻した。さらに北方の羽根野村で小貝川から取水する羽根野堰を設け、この水を新利根川に入れて用水とする工事が同一〇年に完成した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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新利根川
しんとねがわ
茨城県南部,利根川の北側を東流する人工河川。全長 32km。利根川と小貝川の合流点付近,押付新田 (利根町) から,河内町,稲敷市を横断して霞ヶ浦に注ぐ。江戸時代,下利根付近の村落に多発する水害を防ぎ,水田化するために,新川を建設したが成功せず,廃川となり放置されていたのを,1946年から大規模な沿岸改修工事が実施され,1964年完成。沿岸は二毛作地帯になり,県の穀倉地帯となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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新利根川
しんとねがわ
茨城県南部、稲敷(いなしき)市などを流れる川。小貝(こかい)川が利根川に合流する北相馬(きたそうま)郡利根町押付(おしつけ)を上流端とし、稲敷市上須田(かみすだ)押堀(おっぽり)で霞ヶ浦(かすみがうら)に流出する。延長33キロメートル、流域面積184平方キロメートル。茨城県最大の米作地帯を流れる。江戸幕府が利根川下流の治水と印旛(いんば)、手賀(てが)両沼干拓の目的で開いた人工河川で、1666年(寛文6)完成。第二次世界大戦後は流域一帯に国営、県営の大農業水利事業が施行されて、低湿地も水田化された。
[櫻井明俊]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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