中窪田村・下中窪田村(読み)なかくぼたむら・しもなかくぼたむら

日本歴史地名大系 「中窪田村・下中窪田村」の解説

中窪田村・下中窪田村
なかくぼたむら・しもなかくぼたむら

[現在地名]大津町矢護川やごがわ

平川ひらかわ村の北にあり、矢護山の西南麓、標高二〇〇メートル前後の所に立地する。西に延びる合志こうし台地の基部にあたり、村域を西へ流れる矢護川沿いの低地は水田地帯、その後背地は畑作地となっている。中世真木まき村とともに、佐々木姓合志氏の本拠地であったという。

戦国末期合志氏の土地寄進を伝える寺社方家中侍中名附写(厳照寺文書)に「一田三反三畝産生御神領  孫六中窪田社職預り」とみえる。寛永一〇年(一六三三)人畜改帳によると平川組に属していた。同改帳では当村が「中窪田村四百石分」「中窪田村百八十石分」「中窪田村九十石分」「中窪田村出分」に分れている。「四百石分」は戸数八・家数七五、人数六八(うち庄屋一・百姓七・名子一一・下人三)、牛馬三二、居百姓分の高三一九石余で、方々からの出作分の高八〇石余がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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