デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中臣大分」の解説 中臣大分 なかとみの-おおわけ ?-? 奈良時代の農民。播磨(はりま)(兵庫県)飾磨郡(しかまぐん)草上(くかみ)駅の駅子(えきし)。神護景雲(じんごけいうん)3年(769)口分田を四天王寺に没収され,かわりに不便な土地の田を支給されたため180人の駅子とともに朝廷にうったえ,宝亀(ほうき)4年もとの田をあたえられた。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「中臣大分」の解説 中臣大分 生年:生没年不詳 奈良時代末の播磨国飾磨郡草上駅(姫路市)の駅子。神護景雲3(769)年駅子の口分田が収公され,四天王寺に施入された。その代わりに遠隔地に口分田を支給されたが,耕作に不便で駅子らは難渋をきわめた。そこで,大分らが中心となり朝廷に訴え,宝亀4(773)年元どおりの田を支給されることになったという。 (森公章) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by