日本歴史地名大系 「中萱村」の解説
中萱村
なかがやむら
村高は慶安四年(一六五一)八四七石(田四八町、六八一石、畑二九町)、元文二年(一七三七)九九一石(田六四町、八六〇石、畑二七町)、この間明暦三年(一六五七)に中萱堰が開削され、水田化が進む。文化一二年(一八一五)一千四八石(田七〇町、畑二七町)、安政二年(一八五五)一千二八九石、明治元年(一八六八)一千三一五石と近世末期に大きな増加を示している。これは文化一三年に十ヶ堰が開通して、助左衛門堰・中堀堰に余水ができて、下中萱が水田化されたものである。
江戸時代に上中萱・下中萱の両集落からなり、中期以後庄屋・与頭が両集落におり、郷倉も両方に置かれた。下中萱のいぬい馬場(付近に十王堂がある)から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報