日本歴史地名大系 「神宮寺跡」の解説
神宮寺跡
じんぐうじあと
神宮寺跡
じんぐうじあと
神宮寺跡
じんぐうじあと
吉備津神社の境内に存在した。当社関係の文献に「本地堂」とみえるものが神宮寺のことか。「三代実録」元慶元年(八七七)一二月二一日条に「美濃・備中両国、供奉大嘗会悠紀・主基、仍免当年庸米、 詔以正税、充神宮寺并諸家封戸庸」とある。ここにいう封戸をもつ備中の神宮寺とは、この当時の備中国に吉備津宮に匹敵する大社はないから、同宮の神宮寺であると考えられる。その後の神宮寺の動勢は不明。享保(一七一六―三六)頃作成の「吉備津宮両部之古法并申伝記」(備中誌)などによると、「神宮寺本堂は本宮と一度に焼失仕候由申伝へ候」と、吉備津神社の本宮社が炎上した天正年間(一五七三―九二)、神宮寺も類焼、それ以後、当寺は再建されなかった。
神宮寺跡
じんぐうじあと
神宮寺跡
じんぐうじあと
神宮寺跡
じんぐうじあと
神宮寺跡
じんぐうじあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報