中野牧
なかののまき
鎌倉時代初、文治二年(一一八六)三月、左馬寮の牧で、年貢未済の分にあげられたものは信濃で二八牧ある。高井郡では大室・高井野・笠原牧南条・同北条・金倉井牧があるが、除外されているものに中野牧がある。初出は「吾妻鏡」元暦元年(一一八四)二月二一日の条で次のようにみえる。
<資料は省略されています>
中野牧を先祖藤原秀郷から伝領して来た尾藤太知宣は、中野郷の下司職となった藤原助広と同族である。牧の存立した地域は明確ではないが、中野地方である。平安時代末には高社山南麓及び夜間瀬川扇状地一帯には、北に笠原牧、南に中野牧が設定されたわけであるが、その境界線は、夜間瀬川より字松崎で分流する大きな支流であろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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