中飯降村
なかいぶりむら
[現在地名]かつらぎ町中飯降
大畑村の南、紀ノ川中流域右岸に位置し、大和街道に沿う。「和名抄」記載の古代指理郷の地とされ、治承元年(一一七七)九月五日付の僧信兼田地売券(又続宝簡集)に、字揖里村の田一段を能米八石で売渡したとある。元亨二年(一三二二)四月二一日付の大法師長範御影堂陀羅尼田寄進状(続宝簡集)に「官省符中揖里村字前田」とみえ、これより以前承久三年(一二二一)の文書(又続宝簡集)に西揖里村、文保三年(一三一九)の文書(同集)に東揖里村がみえるので、揖里村は鎌倉時代末期には三ヵ村に分れていたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 