中馬村
ちゆうまむら
[現在地名]吉田町中馬
山手村の西に位置し、西は土師村(現八千代町)、北は多治比村に接する。「芸藩通志」に「広十八町、袤一里、四方、多くは山なり、南は僅に開く、谷川村中を流て南に出る」とある。本往還からは離れていたが、早くから開かれた地で、村内明官地には奈良時代とみられる山田寺式単弁蓮華文の軒丸瓦が採集される寺跡がある。この寺跡には観音堂があり、現在、寺名が地名として残る。
建武元年(一三三四)二月二二日付の源頼高契約状(熊谷家文書)に「安芸国内部庄中馬村地頭惣領庶子等契約条々事」とあり、中馬の地はこの頃内部庄に含まれていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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