日本の城がわかる事典 「丸根砦」の解説 まるねとりで【丸根砦】 愛知県名古屋市緑区にあった丘城。国指定史跡。大高川をはさんで大高城(名古屋市緑区)の対岸の丘陵の南端に築かれていた。北端には鷲津砦(わしづとりで)(名古屋市緑区)が築かれていた。1551年(天文20)、織田信秀が死去して、嫡子の織田信長が織田家の家督を継ぐと、鳴海(なるみ)城(名古屋市緑区)の山口教継は織田氏から離反して今川方につき、教継の調略によって大高城も今川方の城となった。このため、信長が桶狭間の戦いの前年の1559年(永禄2)に、大高城の押さえとして、また今川義元の尾張侵攻に備えて鷲津砦とともに築いた城塞である。翌年、今川氏の尾張侵攻に際して、丸根砦は織田方の最前線拠点の一つになり、佐久間盛重を守将として丸根砦に籠もった。この砦と鷲津砦を舞台に、押し寄せる今川方と戦う桶狭間の戦いの前哨戦が行われたが、寡勢のため力及ばず両砦とも落城し、盛重も討ち死にした。砦跡は現在、公園となっており、わずかな曲輪(くるわ)、堀の遺構とともに、記念碑が建っている。JR東海道本線大高駅から徒歩約10分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報