久保庄(読み)くぼのしよう

日本歴史地名大系 「久保庄」の解説

久保庄
くぼのしよう

行橋平野の西部、現大字大久保おおくぼ一帯に比定される庄園。窪庄とも記される。古代以来田川方面から現豊津とよつ町に比定される豊前国府に至る官道が東西に通り、交通の要所であった。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「窪庄地頭職本主余類押領之」「窪郷内野田光行名」とみえ、庄園と並び同名の郷が存在していたと推定される。天正一〇年(一五八二)三月二一日の高橋元種書状(本間文書)によれば、「野田」が久保庄内となっているので同名郷はこれ以前に庄に吸収されたのであろう。明徳元年(一三九〇)五月一〇日、豊前守護大内義弘は「久保庄内号舞童田」を菩提寺の周防興隆こうりゆう(現山口市)へ二月会童舞料所として寄進している(「大内義弘寄進状」興隆寺文書/南北朝遺文(九州編)六)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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