日本歴史地名大系 「久右衛門町分伯隆屋敷」の解説 久右衛門町分伯隆屋敷きゆうえもんちようぶんはくりゆうやしき 東京都:江東区旧深川区地区久右衛門町分伯隆屋敷[現在地名]江東区牡丹(ぼたん)三丁目深川八幡宮前大島川(おおしまがわ)通に成立した抱屋敷。深川久右衛門町分伯隆(ふかがわきゆうえもんちようぶんはくりゆう)屋敷・深川伯隆(ふかがわはくりゆう)屋敷とも称した。片側町で、北は大島川を挟んで永代寺(えいたいじ)門前町、東は石見津和野藩亀井家下屋敷、南は海辺(うみべ)新田と同藩抱屋敷、西は久右衛門町分三左衛門(きゆうえもんちようぶんさんざえもん)屋敷。文政町方書上によると、もと伊勢守抱屋敷であったところで、一部は享保一一年(一七二六)に三左衛門屋敷となり、残りの地が同一五年御目見医師関本伯隆の所持となり、町名を久右衛門町分伯隆屋敷として町家を許可される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by