ボタン(英語表記)(Japanese)tree peony
Paeonia suffruticosa Andr.

改訂新版 世界大百科事典 「ボタン」の意味・わかりやすい解説

ボタン (牡丹)
(Japanese)tree peony
Paeonia suffruticosa Andr.

観賞用に栽培されるボタン科の落葉低木。中国西北部に自生する。茎は分枝し,古くなると高さ3m,太さ15cmくらいになる。葉は互生し2回3出複葉,葉柄の基部は広がって茎を抱く。小葉は卵形,上部で3または5浅裂,または分裂せず,基部は丸いかくさび状,鋸歯はない。晩春より初夏に,新しく伸びた枝の先に花をつける。花は大きく,直径10~20cm。萼片は5枚,厚くて緑色,反曲し,花後も落ちずに残る。花弁は野生品では5~10枚,白色ないし淡紅色であるが,栽培品ではふつう,より多数で,色の変化も多い。倒卵形で先は丸くて鋸歯がある。おしべは多数,花糸は糸状,葯は細長くて黄色。めしべは3~5本,褐色の毛を密生し,花柱は短く,外曲する。おしべとめしべの間にある花盤は膜質,伸び出して袋状になり,柱頭部を残してめしべを包む。授粉は花粉を食いにくる甲虫による。果実は袋果,褐色の毛を密生し,裂開する。果皮は厚く内面は赤い。種子は黒色,球形,直径5~6mm,胚乳がある。古くより中国で栽培され,前漢時代すでに根皮を薬材にしていた。観賞用としては南北朝時代に始まるとされるが,唐代になって大流行し,おびただしい品種群が作出された。日本への渡来は平安朝である。観賞用のみならず薬用としても重要で,根の主として皮を,鎮静,鎮痛,血行障害のあるものなどに用いる。

 ボタンという名は,本種だけではなくボタン属Paeoniaの木本性の種の総称として用いられる。他の種では花盤はボタンのように伸び広がらず,肉質の隆起となって雌蕊(しずい)群をとり囲み,また,花は今年伸びた枝に2~3個つく場合もある。P.lutea Delavay ex Franch.は花が黄色,P.delavayi Franch.は花が赤色ないし紫色である。P.potanini Kom.はP.delavayiに似るが,葉の裂片が細い。園芸品種にはこれらとの雑種に起源するとみられるものもある。群としては,中国西北部よりヒマラヤ地方東部にかけて分布する。草本性のシャクヤク類も観賞用や薬用に広く利用されるが,木本性のボタン類よりも広く分布している。
執筆者:

ボタンは普通,シャクヤクの根を台木にして,それに9月上旬ころに切接ぎをして繁殖する。この台木は数年たつと肥大しすぎて,根の機能を失うので,根ぎわに土を盛って,早く穂木のボタンから自分の根を出させるとよい。苗は10~11月に,排水のよい肥沃な所に盛土をして植え付ける。肥料は秋と春に根ぎわにたっぷりやる。品種は花弁の数に従って,一重,八重,千重(せんえ),万重(まんえ)などに区別され,花色も変化に富む。開花期も普通の春咲きのほかに,冬と春早くに咲く二季咲きの寒ボタンや,春咲きより開花期の遅い遅咲きの種間雑種群がある。ボタンにはひじょうに多くの品種があるが,開花期別に代表的品種をあげると,春咲品種に玉芙蓉(たまふよう)(桃色八重),日照(につしよう)(赤千重),五大洲(ごだいしゆう)(白八重),寒咲品種に栗皮紅(くりかわべに)(紅褐色八重),秋冬紅(しゆうとうこう)(淡紅色八重)。遅咲品種に金帝(きんてい)(レエスペランスともいう,黄一重),金晃(きんこう)(アリス・ハーディングともいう,黄万重)などがある。
執筆者:

牡丹は,中国を代表する花として,花王,花神,富貴花など多くの別称をもつ。宋代の洛陽では花といえば牡丹をさした。根を薬品に使用し,鹿韭(ろくきゆう),鼠姑(そこ)といったことは古い本草書にみえ,四川や漢中の山谷に自生するものを採取していた。南朝宋の謝霊運が江南の竹間水辺にあるという牡丹は芍薬のことらしい。隋の煬帝(ようだい)が西苑に易州から20箱の牡丹を進貢させたというころから,牡丹の愛玩に関する話が増加し,8世紀,唐玄宗の開元・天宝年間(713-755)にいたると国都長安における牡丹熱は急激に高まる。玄宗と楊貴妃の艶話(えんわ)の背景として,興慶池沈香亭前の牡丹が彩りを添え,長安の暮春に人々は牡丹熱でうかされる。貴族や寺観では接木によって名花,珍花を集め,時代はやや下るが,慈恩寺浴堂院の牡丹は両叢で500~600朶(だ),興唐寺のそれは1本1200朶といわれ,1本数万銭のものもあった。李徳裕の〈牡丹賦〉や白居易の牡丹に関する多くの詩はそうした当時の好尚を反映している。

 牡丹の栽培観賞は五代以後四川でも盛行し,とくに天彭と呼ばれる彭城が中心となった。南宋時代,6年を四川ですごした詩人陸游は《天彭牡丹譜》にその詳細を記す。宋代には牡丹植栽の中心は洛陽にうつる。とくに中原中心の洛陽城内の地気が花の王者牡丹に一致すると,欧陽修が《洛陽牡丹記》で喧伝したことは,後世に大きな影響を与えた。すでに五代後梁の于兢(うきよう)をはじめ,蜀の黄居宷(こうきよさい)(933-?)らは牡丹を画題に名をあげていたが,牡丹太湖石,牡丹と鶴や猫の絵も好んで描かれるようになり,また宋白(936-1012)は自作の牡丹詩10首を石に刻し,郭延沢(かくえんたく)は牡丹詩1000余首を詠むなど詩人にももてはやされた。夏の冷涼を好む牡丹は,洛陽や成都,河南,山東の山間部でよく育つが,明・清時代は安徽省北端の亳(はく)州で数多くの品種が生み出された。明代亳州の人である薛鳳翔(せつほうしよう)の《牡丹史》は276種をあげ,150以上の品種の形,色を記し,栽培法を詳説するとともに,牡丹に関する歴代の掌故,軼事(いつじ)を載せる。

 さらに清の鈕琇(ちゆうしゆう)の《亳州牡丹述》では140種をあげ,計楠(けいなん)の《牡丹譜》でも103種の色,形を詳しく説明する。接木をはじめ栽培技法も宋代から進み,芍薬の台木を使うことも清代には広く行われた。
執筆者:

日本では深見草(ふかみぐさ),二十日草(はつかぐさ)などと呼ばれ,平安時代に宮廷や寺院で観賞用に栽培され,菊や葵(あおい)につぐ権威ある紋章として多く使われた。江戸時代には栽培が普及し,元禄時代(1688-1704)に出版された《花壇地錦抄》には339品種が記録されている。明治以降は大阪,兵庫,新潟,島根などで,苗木生産が行われ,ヨーロッパへも苗が輸出されるようになった。なお江戸時代には,イノシシの肉は食通の間で牡丹と呼ばれ,冬になるとひそかに賞味されていた。
執筆者:

中国では,隋・唐代に花の観賞が盛んになると同時に,牡丹文様も使われだした。唐代の花の文様の中では牡丹はとくに多く,富貴の象徴とされていた。同時に西アジアから伝わった唐草文様をとりいれ,〈牡丹唐草文様〉もつくられた。また牡丹をもとにした空想の花文様も生まれ,それらは正倉院宝物の中にも見られる。後代もひき続き好まれ,衣装文様などに用いられた。牡丹唐草も時代によって変化しながら,さまざまな工芸品の装飾に使われている。〈蝶に牡丹〉は華やかさのうちに力強さのある文様となり,花札にもとり入れられ,鎌倉時代以降,〈牡丹に獅子〉の組合せも一般に好まれた。
執筆者:

双子葉植物。1属約40種を含む。草本あるいは灌木で,ユーラシア,北アメリカ西部の主として温帯・亜寒帯に分布する。茎は直立し,大型の複葉をつける。葉の分裂のしかたにはいろいろあるが,多くは1~2回3出または羽状複葉になる。小葉はしばしば欠刻するが鋸歯はない。枝の先に1個の大型の花をつける。萼片は3~5枚,葉状で宿存し,しばしば苞との間に移行型がある。花弁は自生種では5~10数枚,おしべはきわめて多く,数百本。めしべは2~6個,果実は袋果で果皮は多少とも肉質になる。おしべとめしべの間で花床が隆起して雌蕊群をとり囲み花盤となる。宿存する萼や花盤の存在など特異な点はあるが,多数のおしべや数個のめしべをもつなど主として花の構造の類似により,長い間キンポウゲ科の一員とみなされてきた。しかし,つぎのようなキンポウゲ科とは相いれない特徴がみとめられ,ボタン科として独立する意見が支持されるようになった。(1)維管束の木部と師部の境がV字状にへこまず,むしろ突出すること。(2)おしべへの維管束は花床より1本ずつ出ないで,1本の太い維管束から枝分れして入る。(3)おしべは上から下(内から外)へとつくられていく。(4)珠皮が著しく厚く,外珠皮,内珠皮合わせて20細胞層ほどになる。(5)受精卵は遊離核分裂の先行により,数百細胞よりなる細胞塊をつくり,それに生じた芽のうちの一つが胚になる。このような胚形成は被子植物ではボタン科だけのもので,イチョウに似ている。

 ボタン科の分類上の位置については議論が多いが,おしべの特徴の類似よりオトギリソウ目(ビワモドキ目)に近いとする意見が多い。
執筆者:



ボタン
button
botão[ポルトガル]

本来はつき出たものの意で,服飾用品としては衣服の打合せを留めるものを指し,釦または鈕の字をあてる。ボタンの起源は古いが,中世まではひもで結んだりピンなどの留具で留めることが多かった。ヨーロッパでは14世紀になってボタンが上流社会で流行し,貴金属や水晶製のものが数多く装飾的に用いられた。ボタンをはめる穴であるボタンホールも金糸銀糸で飾られていた。17世紀末以降,主として金属製ボタンが大量生産されるようになってようやく一般に普及し,19世紀の軍服にも多くのボタンがつけられた。

 日本へはポルトガル人のいわゆる南蛮装束として移入され,陣羽織や足袋にもボタンが使われるようになった。そして1880年ころには機械による生産が始まった。第2次世界大戦後には合成樹脂製のものが現れ,1950年ころからはカゼインプラスチック(牛乳や大豆のカゼインをホルマリンで硬化させたもの)を用いたラクトボタンが一般化し,軽くて美しいものが可能になった。材料としてはほかに貝,ガラス,陶磁などがある。牛の肢骨や角,蹄(ひづめ)を用いたもの,象牙,ヤシなどの実を用いたナットボタンも19世紀に考案され,安価だったが,現在は安くない。布や皮でくるんだものは〈くるみボタン〉といわれる。日本における生産高は約330億円(1980)で,14%が輸出されている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボタン」の意味・わかりやすい解説

ボタン(牡丹)
ぼたん / 牡丹
[学] Paeonia suffruticosa Andr.

ボタン科(APG分類:ボタン科)の落葉低木。高さ1~2メートル。樹皮は黒灰色、枝は太く、まばらに分枝する。葉は互生し、大形の2回3出羽状複葉。小葉は卵形または卵状披針(ひしん)形で長さ5~10センチメートル、2~3裂し、裂片は先がとがり、全縁で裏面は白色を帯びる。5月ころ、新枝の先に白色または紅紫色で径10~17センチメートルの花を1個開く。萼片(がくへん)は5枚、緑色で反曲する。花弁は5~8枚、倒卵形で縁(へり)に不規則な切れ込みがある。雄しべは多数。雌しべは3~5本、子房は、基部は花托(かたく)に囲まれる。本種はキンポウゲ科に入れられていたこともあるが、花托がへこみ、雄しべが遠心的に発達するなどの特徴により、ボタン科として扱われる。果実は卵形の袋果(たいか)で黄褐色の短毛を密生し、8~9月、熟して内側が縦裂する。種子は黒色で多数ある。中国西部原産である。

 なお、シャクヤクはボタンに似ているが、多年草である。葉は表面に光沢があり、裏面は淡緑色である。小葉の基部はしばしば柄に沿下しているなど、違いがある。

 多数の園芸品種があり、花色は白、淡紅、朱紅、紫、暗紫紅、黄色などで、半八重から万重咲き、獅子(しし)咲き、二段咲きなどがある。カンボタン(寒牡丹)は、春にできたつぼみを取り除き、8月に葉を切り取り、第二のつぼみを発育させ、晩秋から冬に開花する花を観賞する。

 日本への渡来は明らかでないが、平安時代には栽培されたといわれるが、『延喜式(えんぎしき)』(927)や『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918)などに載せられた牡丹(ぼたん)は、今日のボタンではなく、カラタチバナであるとの説がある。鎌倉、室町時代には寺院や庭園などに広く植えられるようになった。江戸時代の元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)年間(1688~1711)には花の観賞が盛んになり、『花壇地錦抄(じきんしょう)』(伊藤三之丞、1695)には、白牡丹の仲間179品種、紅牡丹の仲間160品種、筑前(ちくぜん)牡丹138品種を載せている。明治以後には、大阪府池田市付近で260品種もの苗が生産された。現在は新潟県と島根県が主産地である。

 繁殖は接木(つぎき)、株分け、実生(みしょう)による。接木の台木はボタン、シャクヤクを使う。移植の適期は8月下旬~9月で、過湿を嫌い、排水のよい砂質壌土を好み、陽樹で耐寒性がある。

小林義雄 2020年5月19日]

名所

宮城県岩沼市の「金蛇(かなへび)水神社牡丹園」、福島県須賀川(すかがわ)市の「須賀川牡丹園」、埼玉県東松山市の「箭弓(やきゅう)稲荷神社牡丹園」、静岡県袋井(ふくろい)市の「可睡斎(かすいさい)」、奈良県桜井市初瀬(はせ)の長谷(はせ)寺、奈良県葛城(かつらぎ)市當麻(たいま)の當麻寺、石光(せっこう)寺などは有名である。

[小林義雄 2020年5月19日]

薬用

根の皮部を牡丹皮(ぼたんぴ)といい、漢方では消炎、浄血、鎮痛剤として虫垂炎、月経痛、月経不順、打撲症、腫(は)れ物などの治療に用いる。特有の強い臭(にお)いをもつが、これは配糖体ペオニフロリンなどを含有することによる。

[長沢元夫 2020年5月19日]

文化史

ボタン、シャクヤクと並び称されるが、シャクヤクが『詩経』に記録があり、紀元前から知られていたわりには、ボタンの登場は遅く、『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』に薬としての記録があり、北斉(ほくせい)(550~577)のころには観賞用とされ、絵画にも描かれたと伝えられているが、栽培が広がったのは唐代になってからである。唐の舒元輿(じょげんよ)の『牡丹賦(ぼたんふ)』には、則天武后が宮中の上苑(じょうえん)にボタンの移植を命じたと述べられている。また段成式(だんせいしき)は『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』(860ころ)のなかで、元和(げんわ)(806~820)の初めはまだ少なかったが、いまは戎葵(じゅうき)(タチアオイ)と数を競うほどになった、と書いているので、9世紀の50年間に洛陽(らくよう)でボタンが急速に流行したことがわかる。当時すでに、白、紫、紅、黄白(おうはく)などの色変わりや、八重咲き、また花径7~8寸の大輪花などの品種が分化し、寺院に植えられ、牡丹の会が開かれていた。白楽天は「花開き、花落の二十日」と詠んだ。唐以降も洛陽はボタンの中心地で、11世紀、宋(そう)の欧陽修(おうようしゅう)は『洛陽牡丹記』を著し、30余の品種を取り上げ、なかでも黄花の姚黄(ようこう)や紅花八重の魏花(ぎか)という品種は1芽が銭五千で買われたと記録している。また、洛陽の城内では春、貴賤(きせん)を問わずボタンの花を挿したとも述べている。

[湯浅浩史 2020年5月19日]

文学

ぼうたん、ぼうたんくさ、ともいう。『和漢朗詠集』下「妓女(ぎじょ)」に、白楽天の「春の風は吹き綻(ほころ)ばす牡丹(ぼたん)の花」などという句がみえ、『菅家文草(かんけぶんそう)』巻4「法花(ほっけ)寺白牡丹」に、「色は即(すなは)ち貞白為(た)り、名は猶(なほ)し牡丹と喚(よ)ぶ」とある。『蜻蛉(かげろう)日記』中に、「何とも知らぬ草ども繁(しげ)き中に、牡丹(ぼうたん)草どもいと情けなげにて、花散りはてて立てるを見るにも」、『枕草子(まくらのそうし)』「殿などおはしまさで後」の段に、「台の前に植ゑられたりける牡丹(ぼうた)などのをかしきこと」、『栄花(えいが)物語』「玉(たま)の台(うてな)」には、「高欄高くして、その下に薔薇(さうびん)、牡丹(ぼうたん)、唐瞿麦(からなでしこ)、紅蓮花(ぐれんげ)の花を植ゑさせ給へり」などとあり、前栽(せんざい)の植物として植えられていたことが知られるが、『古今六帖(こきんろくじょう)』や『堀河百首』『永久(えいきゅう)百首』などには歌材や題として掲げられず、歌語とはいえない。もっとも、『古今集』物名(もののな)や『源氏物語』「少女(おとめ)」の六条院の夏の町の前栽の花としてみえる「くたに」を牡丹とする説(ほかに竜胆(りんどう)説など)もあり、「くたに」は歌語となっている。『荘子(そうじ)』を踏まえた牡丹と胡蝶(こちょう)との配合や、これも中国の『牡丹灯記(とうき)』の翻案だが怪談の『牡丹灯籠(どうろう)』などもよく知られる。夏の季題。「牡丹散つてうちかさなりぬ二三片」(蕪村(ぶそん))。

[小町谷照彦 2020年5月19日]



ボタン(服飾付属品)
ぼたん
botão ポルトガル語

衣服などの合せ目につけて留め具の役割をさせたり、装飾として使用する服飾付属品。ボタンホール(ボタン穴)やループ、切替え線などをくぐらせて留めるが、形は平板状、球状、棒状とさまざまである。糸通し穴を裏から表に突き通した「表穴ボタン」(二つ穴または四つ穴)と、糸穴を裏側につくり、表には見えなくした「裏穴ボタン」がある。特殊なものでは、ダッフルコートの浮きボタン、凹型と凸型のスナップ式のプレスボタン、打紐(うちひも)などでつくるチャイナボタン、布や皮をかぶせたくるみボタン、2個のボタンをつないで一対にした鼓(つづみ)ボタン、一方に留め具のついたカフスボタンなどがある。本来、実用的なものであるが、装飾性、象徴性が強く、ときには装飾目的のみに用いられることもある。

[平野裕子]

歴史

ボタンの一種はすでに先史時代からみられるが、ボタンホールを通して留める今日的なボタンの出現は、衣服が体に密着してくる13世紀以降である。それ以前は紐かブローチかピンで留め、15世紀には鉤(かぎ)ホックが用いられた。初期のボタンはブロンズ、骨、木などでつくられていたが、しだいに装飾化し、金銀、宝石、ビーズ、象牙(ぞうげ)、布などを用いた精巧なものが登場した。とくにロココ時代の男子服では、地位を象徴するぜいたくな装飾品となり、さまざまに流行を反映した。細紐で一対にしたブランデンブルクス、直径4~5センチメートルもある大型のもの、細密画や肖像画の入った飾りボタンなどがある。婦人服にボタンが使用されたのは19世紀後期で、これは婦人がテーラードな服を着用し始めたことによる。19世紀初頭、アメリカでボタンの工業化が始まり、20世紀のプラスチックの出現に及んで、色、形も変化に富む、手近で不可欠な留め具となった。西洋式のボタンが日本で一般化したのは明治以降で、陸軍の軍服から始まった。なお、日本ではポルトガル語を経てボタンと発音するが、英語ではブトンbutton、フランス語はブートンboutonである。

[平野裕子]

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百科事典マイペディア 「ボタン」の意味・わかりやすい解説

ボタン(牡丹)【ボタン】

中国原産のボタン科の落葉低木。高さ1〜3m内外になり,葉は大型の2回羽状複葉で下面は帯白色。5月に新しい枝の先に径15〜25cmの大輪の美花を開く。萼(がく)は5枚,花弁は光沢のある紅紫色の薄い膜質で,一重咲では7〜9枚,多数のおしべがある。園芸種では花色に赤・桃・白・黒紫色,ぼかし等もあり,花弁の多少によって花形の変化も多い。フランスの改良種には黄色花もあり,また花は小型だが冬に開花するカンボタンのような変種もある。ボタンは初め中国で薬用として栽培されていたが,唐代以後観賞用となり,日本には8世紀に渡来し,江戸時代に流行した。薬用としても重要で,根を血行障害,鎮痛などに用いる。栽培には砂質壌土がよく,十分に肥培する。繁殖はふつう実生(みしょう)株かシャクヤクの台に接木する。

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「ボタン」の解説

ボタン

(1)ダイアログやウィンドウに表示される、丸みのある長方形のスイッチ。この部分をマウスでクリックして、ソフトウェアに命令を与える。ボタンには操作内容が記されている。操作内容は「はい」や「いいえ」といった、質問の答えであることが多い。(2)Mac OS 8以降のFinderでファイルやフォルダーを表示する形式のひとつ。ファイルをダブルクリックでなく、1回のクリックで開くことのできるボタンとして表示する。ボタン表示のファイルを移動するにはファイル名の部分をドラッグする。「表示」メニューから「ボタン」を選んでこの形式を選択できる。他の表示形式には「アイコン」と「リスト」がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボタン」の意味・わかりやすい解説

ボタン(牡丹)
ボタン
Paeonia suffruticosa; tree peony

ボタン科の落葉低木で,ハツカグサ,フカミグサ,ナトリグサなどともいう。中国原産で,古くから日本に伝えられ,花木として観賞用に庭などに広く栽培されている。幹は直立して分枝し,2回羽状複葉で有柄の葉が互生する。小葉は卵形で先端は2~3裂または全縁。春に,新しい枝先に大型の花を単生する。花色は紫,紅,淡紅,白などがあり,まれに黄色のものもある。花弁は多数あり大きさは不同。萼片は5枚で花後も宿存する。おしべは多数,めしべは有毛で花盤は袋状になり心皮を包む。果実は厚肉の袋果。根の皮は鎮痛,消炎,通経などの薬用にされ,中国では高血圧の薬としても有効であるとされている。

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事典 日本の地域遺産 「ボタン」の解説

ぼたん

(東京都千代田区神田須田町1-15)
千代田区景観まちづくり重要物件」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

世界大百科事典(旧版)内のボタンの言及

【裁縫】より

…また荘園では,裁縫にたずさわる使用人たちの部屋が設けられていた。イギリスでは針もピンも16世紀までは家内製作であり,またボタンの工業などもエリザベス女王(在位1558‐1603)時代になってから興った。指貫(ゆびぬき)は1675年にジョン・ソフティングによってオランダからイギリスに持ち込まれたといわれる。…

【留具】より

…衣服の合せ目を結び合わせたり,留めたり,つないだりするための用具。紐,ピン,ブローチ,バックル,フック,ボタン,スナップ・ボタン,ファスナーなどがある。古代エジプト人は留具を用いず衣服の端を結び合わせたり,紐を使って固定した。…

※「ボタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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