久国村(読み)ひさくにむら

日本歴史地名大系 「久国村」の解説

久国村
ひさくにむら

[現在地名]勝浦町久国

もり村の西、勝浦川右岸に位置する。元和四年(一六一八)には鶴林かくりん寺領として「生夷之内久国村」のうち二〇石余が寄進されている(「蜂須賀家政寄進状」鶴林寺蔵文書)寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「久国」とあり、正保国絵図では「久国村」として高一五四石余。慶安三年(一六五〇)の蜂須賀光隆領分高并当物成帳では高二七六石余、物成一〇七石余、内麦九石余、人数二二(夫役八人)、並炭七石余(三斗俵)、樅四寸角一三八本・樅五分板(長さ二〇間・六枚伏)四枚・垂木(長さ二間半)一七九本。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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