狂言の曲名。大蔵流では『三番三』と書く。能楽では『翁(おきな)』の対(つい)のように考えられ、三番叟を狂言方が勤めるが、『三番叟』を含めて『翁』ともいう。狂言では能の『翁』と同じように祝言曲として取り扱われている。起源は大治(だいじ)元年(1126)の『法華(ほっけ)五部九巻書』に出ていて古く、そのなかで、父尉(ちちのじょう)、翁、三番と記されており、三番というのが三番叟のことである。そこでは三番を弥勒(みろく)にあて仏教的解釈がなされている。三番という名称は父尉、翁に続いて3番目に演ずるという意味のようである。世阿弥(ぜあみ)の『風姿花伝(ふうしかでん)』には三番を世継(よつぎ)の翁と記してあり、後世の書物には、三番叟を住吉(すみよし)大明神にあてたりもしている。翁を天下太平、長寿をもたらす神と考え、三番叟を五穀豊穣(ほうじょう)の神とする解釈もある。また、翁の「もどき」という考え方もある。今日の狂言の『三番叟』は能の『翁』に続いて行う。千歳(せんざい)と翁の舞が終わり翁が退場すると、三番叟が素面で「揉(もみ)の段」を舞い、次に「鈴の段」を舞う。「揉の段」は最初に達拝(たっぱい)風の型をし、続いて露払い風の軽快な舞を舞う。「鈴の段」は黒尉面をつけて鈴を振りながら舞う呪術(じゅじゅつ)的な舞である。「鈴の段」の型は種下ろし、種播(ま)きを表現したものだという解釈もある。三番叟の舞は古い猿楽(さるがく)芸を伝えているともいい、呪師に発するともいう。「揉の段」は千歳舞に、「鈴の段」は翁舞にあたるというが、そうであれば三番叟は翁をまねたことになり、猿楽の本芸である物まね性を根本にもっていることになる。愛知県北設楽(きたしたら)郡東栄(とうえい)町、豊根(とよね)村、設楽町で行われている花祭に出てくる翁は三番叟で、ワキと滑稽(こっけい)な問答をするが、これは古い三番叟の一つの姿を残したものであろう。
翁面が笑いをたたえ、品格のある福相を示す面であるのに対し、三番叟は翁と同じ面相だが、鼻下、顎(あご)に植毛髭(ひげ)をつけ、顔は黒色で品がない。古い三番叟の面は変化が多く、両方の目の造形が違っていたり、鼻が曲がっていたりして滑稽にできている。三番叟芸の古様を示すものであろう。
[後藤 淑]
歌舞伎(かぶき)舞踊、邦楽の一系統。能の『翁(おきな)』を、狂言方の勤める洒脱(しゃだつ)な三番叟中心に歌舞伎化したもので、一般に「~三番(叟)(さんば)」の通称でよばれる。寛永(かんえい)年間(1624~44)初世中村勘三郎が踊った『乱曲三番叟』が最初といわれ、これを後世に改作した『舌出し三番』(清元(きよもと)・長唄(ながうた))をはじめ、長唄の『操(あやつり)三番』『晒(さらし)三番』『廓(くるわ)三番』『雛鶴(ひなづる)三番』、常磐津(ときわず)の『子宝(こだから)三番』、清元の『朝比奈(あさひな)三番』『四季三葉草(しきさんばそう)』、義太夫(ぎだゆう)の『二人(ににん)三番』などが有名で、一中節(いっちゅうぶし)や河東節(かとうぶし)にも曲がある。別に江戸歌舞伎では顔見世興行や正月に、太夫(たゆう)元が翁、若太夫が千歳(せんざい)、座頭(ざがしら)役者が三番叟に扮(ふん)して芝居繁盛を祈る「翁渡し」の行事があり、これを簡略にしたものに下級俳優が開演前に演じる「番立(ばんだち)」があった。この儀式的な性格を伝える長唄の『寿式(ことぶきしき)三番叟』(俗に『式(しき)三番』)が現在でも劇場の開場式などで演じられる。
[松井俊諭]
『能勢朝次著『能楽源流考』(初版・1938/再版・1979・岩波書店)』▽『本田安次著『翁そのほか』(1958・明善堂)』
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能楽《翁(おきな)》(《式三番》)で,千歳(せんざい)の舞・翁の舞に続いて狂言方が担当する役と,その舞事(まいごと)。大蔵流では《三番三》と記す。翁が舞い終えて退場すると勇壮な揉出(もみだし)の囃子になり,三番叟の役が後見座から出て舞いはじめる。二段から成り,前半の揉ノ段は直面(ひためん)で,自身掛声をかけながら軽快かつ躍動的に,後半の鈴ノ段は黒式尉(こくしきじよう)(黒い彩色(さいしき)の老人面)をかけ,鈴を振りながら荘重かつ飄逸(ひよういつ)に舞う。囃子は笛・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ)で,小鼓だけは3人で演奏する。翁が天下太平を祝福するのに対し,三番叟は五穀豊穣(ほうじよう)を祈願するとされ,技法上,足拍子を多用するので,この舞を舞うことを〈踏む〉ともいう。そこに農耕儀礼にかかわる地固めの意図が介在している。三番叟はまた,日本各地の民俗芸能や人形芝居の中にも,さまざまな形態で祝言の舞として残されている。
執筆者:羽田 昶
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…中世期の猿楽座は,この宗教色の濃い翁猿楽をその本芸として,各地の社寺の祭礼に参勤し,楽頭職(がくとうしき)を得ていたが,のちにはその余興芸ともいえる猿楽能が人気を得て発達し,今日の能楽の基礎ともなった。
[芸態]
翁舞の芸態にも時代による変化があり,弘安年間以前は父叟・翁・三番の3人の翁が出る演出であったらしいが(《法華五部九巻書》),弘安年中の奈良では場清めの性格をもつ児舞を最初に,白色尉の翁舞,そのもどき的性格をもつ黒色尉の三番叟舞,続いて延命冠者と父尉が出るという様式となり,南北朝期ころまでこの形式が継承されたが,翁舞全体が儀式化されると,しだいに冠者と父尉の部分は一般には省略され,特殊演出となった。室町中期には露払いが千歳(せんざい)と呼ばれるようになり,今日の演出が完成するが,地方の神事などに翁舞を演じた群小猿楽座では古い様式も伝承された。…
…二番のうち《翁》は古くは《翁面(おきなめん)》とも称した。また《三番猿楽》はのちに〈三番サウ〉と略され,文字も〈三番叟〉または〈三番三〉と書かれるようになった。《翁》を能役者が演じ,《三番叟》を狂言役者が演ずるきまりは世阿弥時代にすでに成り立っていた。…
…能楽に用いられる仮面(面(おもて))をいうが,その先行芸能である猿楽や田楽に用いられた仮面をも含むのが普通である。たとえば翁舞に用いられた翁(おきな)面,三番叟(さんばそう),父尉(ちちのじよう),延命冠者(えんめいかじや)は鎌倉時代にその形制を確立して,そのまま能面に継承された。追儺(ついな)または鬼追いに用いられた各種の鬼面は,猿楽や田楽のなかで変貌し,南北朝から室町時代にかけての能楽大成期に,能面らしい形に分化したと思われる。…
※「三番叟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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