日本歴史地名大系 「久寺家村」の解説 久寺家村くじけむら 千葉県:我孫子市久寺家村[現在地名]我孫子市久寺家一―二丁目・久寺家・つくし野(の)・北新田(きたしんでん)我孫子村・根戸(ねど)村の北に接し、村の北には利根川の流作場が広がっている。江戸初期に旗本一色領であったと考えられ、貞享元年(一六八四)の一色直政への遺領分に村名がみえる(「私諸職奉願候覚」流山市史研究)。「本多四公日記」元禄一一年(一六九八)二月条に本多正永下総領分領知替記事として村名がみえ、同一三年頃の下総国各村級分では高六九石余。天保郷帳では高一五六石余。安永期(一七七二―八一)から幕府領になったとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by