久寺家村(読み)くじけむら

日本歴史地名大系 「久寺家村」の解説

久寺家村
くじけむら

[現在地名]我孫子市久寺家一―二丁目・久寺家・つくし北新田きたしんでん

我孫子村根戸ねど村の北に接し、村の北には利根川の流作場が広がっている。江戸初期に旗本一色領であったと考えられ、貞享元年(一六八四)の一色直政への遺領分に村名がみえる(「私諸職奉願候覚」流山市史研究)。「本多四公日記」元禄一一年(一六九八)二月条に本多正永下総領分領知替記事として村名がみえ、同一三年頃の下総国各村級分では高六九石余。天保郷帳では高一五六石余。安永期(一七七二―八一)から幕府領になったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む