北新田(読み)きたしんでん

日本歴史地名大系 「北新田」の解説

北新田
きたしんでん

[現在地名]徳島市北沖洲(きたおきのす)一丁目

沖洲浦の西にあり、北は金沢(かなざわ)新田、南はほぼ東流する沖洲川を挟んで武家地の安宅(あたけ)、西は大岡(おおか)浦。今津屋(いまつや)新田・前(まえ)新田ともよばれた。当新田の開発に関する史料は少なく不詳であるが、北西紙屋(かみや)新田より開発の時期は古いといわれる(楽土沖洲)。開発は最初は大工島(だいくじま)の今津屋嘉兵衛があたったが軌道に乗らず、天保一三年(一八四二)に沖洲浦の桑村茂平らが加わった(わが町沖洲)。阿波水軍の研究者であった団武雄氏が模写した天保一三年の沖洲地域絵図(団家蔵)によってはじめて耕地として確認できる。


北新田
きたしんでん

[現在地名]十日町市北新田・城之古(たてのこし)

川治(かわじ)村の西、高山(たかやま)村枝村城之古が西に続く。元禄七年(一六九四)の妻有組村名書上帳(福原氏蔵)によると慶安四年(一六五一)の開発。天和三年郷帳では高一七七石七斗余。宝暦五年(一七五五)の村明細帳(小千谷市立図書館蔵)では家数三〇、男八二・女七四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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