久成村(読み)くなりむら

日本歴史地名大系 「久成村」の解説

久成村
くなりむら

[現在地名]中富町久成

中山なかやま中一二ヵ村の一つで、大塩おおしお村の南一四町の所にあり、北東手打沢てうちざわ村。小名に堂平どうだいら伊豆島いずしま水口みずくちがある(甲斐国志)。慶長古高帳では高六三石余、幕府領。寛文一一年(一六七一)検地帳(県立図書館蔵)によれば高一五九石余、反別田五町二反余・畑四五町余・屋敷三反余、屋敷数四一。宝永二年(一七〇五)の村明細帳(久成区有文書)によれば家数三九(本百姓一六・水呑二三)・人数一六五、女馬二二。寛政二年(一七九〇)八一軒・三六二人(中富町誌)。文化(一八〇四―一八)初年八三軒・三七八人、馬五(甲斐国志)。明治二年(一八六九)九一軒・四五一人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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