久我原村(読み)くがはらむら

日本歴史地名大系 「久我原村」の解説

久我原村
くがはらむら

[現在地名]大多喜町久我原

石神いしがみ村の南、夷隅川左岸に位置し、屈曲する同川に三方を囲まれる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二六三石。慶長五年(一六〇〇)の大多喜藩領分高付帳(大木家文書)では高四四五石余。元禄郷帳では高二六三石余で、幕末まで同高。領主変遷部田へた村に同じ。寛永五年(一六二八)年貢割付状(久我原区有文書)によれば、田八町二反余・畑一八町四反余。元禄期(一六八八―一七〇四)には村内が上・下二ヵ村に等分されており、元禄一六年の上久我原村検地帳(同文書)では田五町三反余・畑一四町五反余、下久我原村検地帳(同文書)では田五町三反余・畑一四町五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 へた 開基 宝泉

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android