久方村(読み)ひさかたむら

日本歴史地名大系 「久方村」の解説

久方村
ひさかたむら

[現在地名]八日市場市久方

亀崎(かめざき)村の北に位置する。北は香取郡吉田(よしだ)村。中世は匝瑳南条(そうさなんじよう)庄に属したとみられ、戦国時代末期の在地領主は千葉氏族の三谷氏。天正一七年(一五八九)九月一三日の北条氏裁許状写(神保文書)に「吉田之郷之内、久方之村」とみえ、天文一五年(一五四六)千葉利胤から三谷蔵人佑(胤重)に宛行われたが、天正一七年に千葉妙見社(現千葉市中央区の千葉神社)別当寺の尊光(そんこう)院(現廃寺)は当村を妙見社領であると主張し北条氏に出訴、糾明の結果、三谷氏が天文時の証文を提出し尊光院の訴えは却下された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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