日本歴史地名大系 「久部村」の解説 久部村くべむら 大分県:佐伯市久部村[現在地名]佐伯市池田(いけだ) 上久部(かみくべ)・下久部(しもくべ)・池船町(いけふねまち)塩屋(しおや)村の南、番匠(ばんじよう)川右岸沿いに位置。九辺とも記す。天正一七年(一五八九)七月二九日に「佐伯九辺」の「はきうすすし・同越後」ほか一名が、同一八年三月三日「くべの左衛門九郎」がそれぞれ伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。慶長豊後国絵図に村名がみえ、高六六六石余。のちの長瀬(ながせ)村高を含んでいた。 久部村きゆうぶむら 大分県:大野郡三重町久部村[現在地名]三重町大白谷(おおしろたに) 久部中津留(なかつる)村の南西、中津無礼(なかつむれ)川上流域にある。文禄二年(一五九三)以降岡藩領。正保郷帳に村名がみえ、田方一九石余・畑方三三石余、白谷(しろたに)郷に属し、茅山有と注記される。旧高旧領取調帳では高一一四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by