久野部村(読み)くのべむら

日本歴史地名大系 「久野部村」の解説

久野部村
くのべむら

[現在地名]野洲町久野部

市三宅いちみやけ村の東、野洲村の北にある。南東辺を朝鮮人街道が北東から南西へ走る。村域はほぼ四町×五町四方に収まり、条里の一〇条四里に当たる。耕地にも近年まで条里地割が認められ、字しちつぼじゆつぼ呼称もみられる。集落は西部に集中する。久野辺・久之辺とも記され、観応三年(一三五二)七月一七日の円光えんこう寺鰐口銘には「野洲北郡久野辺長福寺」とある。長享元年(一四八七)一一月の三上庄算用状(御上神社文書)によれば、久野辺に京都東福寺大機だいき院領の散在田地があり、その年貢は九野辺道円らが支弁していた。元亀三年(一五七二)久之辺の矢兵衛六郎は、一揆に同心しないことを誓う起請文(大谷家蔵謄写本)に加わっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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