久長村(読み)ひさながむら

日本歴史地名大系 「久長村」の解説

久長村
ひさながむら

[現在地名]吉田町久長

破風はふ山の南、赤平あかびら川左岸の山間地に位置し、南東赤平川を境に太田おおた(現秩父市)南西は下吉田村、東から北は下日野沢しもひのざわ村・野巻のまき(現皆野町)。赤平川が村の南部を西から東に流れ、赤平川に沿い野巻村からの往還が通り、下吉田村に向かう。延慶四年(一三一一)三月三日の名字書立案(秩父神社文書)に「久永惣領小畠平太郎跡」とみえる。永禄八年(一五六五)一月七日、鉢形はちがた(現寄居町)城主北条氏邦は用土新六郎に対して「久長之内」天徳てんとく寺門前より出す船役一艘分を免除している(「北条氏邦印判状」天徳寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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