改訂新版 世界大百科事典 「乙木荘」の意味・わかりやすい解説
乙木荘 (おつきのしょう)
大和国山辺郡(現,奈良県天理市乙木(おとぎ)町)にあった興福寺大乗院領の荘園。13世紀後半の作成と推定される条里坪付図が残っているが,関係史料が乏しいため,成立過程および条里坪付図作成以降の変遷については不明である。条里坪付図によると,総面積43町余で,荘地は19の名田(みようでん)(名請地),屋敷地,佃(つくだ)および公事田・地子田等のわずかな散田から成っていた。名田(名請地)は預所(あずかりどころ)名1町,下司(げし)名5反で,荘司,善縁,平太郎など17名の名請地は5反が10名,4反大が1名,4反が4名,3反,2反が各1名であった。預所名,下司名および荘司以下の名請人には屋敷地が各1反あてられ,佃の耕作が各1反義務づけられていた。名請地の少ない名請人には公事田,地子田等が割りつけられており,5反を基準とする均等名の構成をとっていたようである。なお,佃の収納米は反別1石4斗で,名請地の平均斗代(とだい)は反別1斗6升8合であった。
執筆者:泉谷 康夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報