(1)中世における田畠1段あたりの年貢(官物)収納高のこと。たとえば,1段につき5斗納めるときは五斗代という。平安時代後期の田の斗代は3斗が標準であったが,鎌倉時代にかけて高くなる傾向にあり,1318年(文保2)の東寺領丹波国大山荘一井谷では,上田段別7斗5升,中田5斗7升,下田4斗5升であった(〈東寺百合文書〉)。畠地については詳細は不明だが,平安時代後期では田の3分の1(約1斗)が標準であった。(2)江戸時代になると転じて公定収穫高(石盛)と同義に用いられるようになった。普通,上田1反歩の斗代は1石5斗で,中田以下はそれぞれ2斗減であった。しかし,〈斗代といふは石盛の異名に候得共,百姓等反取候事迄も斗代と唱違也〉(《地方要集録》)といわれるように,村方では〈反取〉(年貢収納高の一種)を斗代という場合も多く,2様の意味で混用されていたと思われる。
執筆者:木村 茂光
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鎌倉・室町時代の田畑一段当りの年貢収納高。たとえば、一段につき五斗納めるときは五斗代といった。平安時代後期では、田地が三斗代、畑地が一斗~一斗五升代であったが、鎌倉期にかけて、生産力の増大とそれに伴う領主の収奪強化のために、高斗代化するとともに、領主・地域により一定しなくなった。また、耕地の生産力に応じた収納を実現するために細分化されることも多く、1265年(文永2)の「若狭(わかさ)国惣田(そうでん)数帳(大田文(おおたぶみ))」によれば、六斗四升八合代を中心に、三斗代から九斗代まで8種類の斗代を確認することができる(鎌倉遺文9422号)。江戸時代になるとその意味は変化していって、「斗代といふは石盛(こくもり)の異名に候得共(そうらえども)、百姓等反取(たんどり)候事迄(まで)も斗代と唱違也(となえたがうなり)」(地方(じかた)要集録)とあるように、石盛=田畑一段当りの公定収穫高を意味するようになった。
[木村茂光]
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中世,田畠1段当りの年貢徴収高をいう。平安後期の田の斗代は1段につき3斗が標準だったが,鎌倉時代にはさらに高くなる傾向にあった。斗代定めは領主の勧農の重要な要素であり,百姓の愁訴の一要因でもあった。近世には石盛(こくもり)と同義で用いられた。村方では段取(たんどり)を斗代とよぶ場合も多かった。
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… 分米(ぶまい∥ぶんまい)検地の際,一筆ごとに面積を測り,田畠の等級に応じて定められた石盛に基づいて計算された石高。中世では斗代(1反当りの年貢徴収率)に面積を乗じたもので,年貢高に相当する。 村高《地方凡例録》に,〈石高といふハ村高のことにて,田畑を検地し土地に応じて上中下の位を分け,石盛を極め,田畑屋敷夫々の高を寄合せたるを石高と云て即ち村高なり〉とある。…
…検地に際して田畑・屋敷地の公定収穫量(石高)を算出することをいうが,その反当り換算率すなわち斗代のことをもさす。石盛によって算定された石高に一定の率をかけて年貢・諸役が賦課されたので,石盛の高低は貢租量の多少に関係した。…
※「斗代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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