日本歴史地名大系 「乙金村」の解説 乙金村おとがなむら 福岡県:大野城市乙金村[現在地名]大野城市乙金一―三丁目・大城(おおき)一―三丁目・乙金台(おとがなだい)一―三丁目・川久保(かわくぼ)二―三丁目・大池(おおいけ)一―二丁目・乙金東(おとがなひがし)一―四丁目・中(なか)三丁目・乙金中村の東、乙金山の西・北の麓にある。東は糟屋(かすや)郡炭焼(すみやき)村(現宇美町)、北は同郡井野(いの)村(現同上)。北の唐(から)山(現井野山)の南の谷間を通り、ひきき嶺を越えて糟屋郡宇美(うみ)の河内へ出る小路がある(続風土記)。また水城(みずき)村(現太宰府市)から当村を通り席田(むしろだ)郡を経て糟屋郡に通じる小路は、慶長五年(一六〇〇)に田中吉政が筑後入国の際に通ったというので田中(たなか)道とよばれた(続風土記附録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by