日本歴史地名大系 「九野本村」の解説 九野本村くのもとむら 山形県:長井市九野本村[現在地名]長井市九野本・台町(だいまち)平山(ひらやま)村の南、野(の)川扇状地扇央部に位置する。南は中(なか)村・黒沢(くろさわ)村(現西置賜郡飯豊町)・時庭(ときにわ)村など。九之本・久之本などとも記した。文明元年(一四六九)一〇月二日伊達成宗は「下長井栗之本郷」内の大町某の田役・棟別銭・諸公事を免除している(伊達正統世次考)。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「六十八〆仁百文 くのもと」「仁十五〆文 大町かた」とある。伊達氏天文の乱のさなかの天文一四年一月一一日、伊達稙宗は片倉九郎右衛門に「久之本郷内谷地寺在家、年貢二貫文、同郷内丹後屋敷四貫文、同郷内弥七在家壱貫五百文、同郷内滝倉田七百刈、同郷内富塚近江分切田七百刈」など、片倉彦次郎に「橘三郎田九百三十刈、上山三郎右衛門分切田九百刈」を与えている(伊達正統世次考)。同二二年の晴宗公采地下賜録では、当地に所領のあった者として湯目式部・浜田与四郎・大町七郎・小高二郎左衛門・片倉伊賀守・浜田備前・大津塩地・同源三娘・我妻備中・樋口十郎衛門・梅津掃部助などがみえ、「遠藤屋しき」「つちの在家」「くわんあミ在家」「ねすミ在け」「つちの在家」「ねんはうやしき」「なかさと在家」「うさき在家」などの地名、在家・屋敷名が載る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by