日本歴史地名大系 「長井市」の解説 長井市ながいし 面積:二一五・二五平方キロ県の南西部に位置し、北は西村山郡朝日(あさひ)町・西置賜(にしおきたま)郡白鷹(しらたか)町、東は南陽市・東置賜郡川西(かわにし)町、南は西置賜郡飯豊(いいで)町、西は同郡小国(おぐに)町に接する。長井盆地の中心を占め、近世置賜郡域の北西部にあたる。東部を北流する最上川は南部の河井(かわい)で白(しら)川、中央部宮(みや)で野(の)川をそれぞれ左岸に合せ、白川合流点より上流では松(まつ)川ともよばれた。最上川右岸は白鷹丘陵南端の山地、左岸は平岩(ひらいわ)山(一六〇九メートル)・祝瓶(いわいがめ)山(一四一七メートル)・柴倉(しばくら)山(一二六二・八メートル)と朝日連峰の山稜が連なり、西(にし)山と総称される。最上川沿いに走る国道二八七号や主要地方道長井―大江(おおえ)線、長井―白鷹線、長井―飯豊線がおもな交通路となっている。〔原始・古代〕西山山麓一帯は旧石器・中石器・縄文・弥生・古墳と各時代の遺跡が散在する。なかでも草岡(くさおか)の長者屋敷(ちようじややしき)遺跡は縄文時代前・中・晩期を中心に、旧石器時代から弥生時代にわたる遺跡として注目される。ほかに中石器時代の尖頭器群を出土した勧進代(かんじんだい)の北堂(きたどう)C遺跡、縄文時代中期前半の良好な土器群を出土する宮遺跡などがあげられる。最上川沿いは古くから開発の進んだ地域と思われ、最上川(松川)と白川合流点付近の今泉(いまいずみ)の河井山(かわいやま)には、五―六世紀代に営まれた河井山古墳群がある。「大日本地名辞書」は古代置賜郡広瀬(ひろせ)郷(和名抄)を松川・白川合流点付近に、同郡長井郷を野川合流点付近に所在を比定する。白川合流点付近を中心に少なくとも一郷(長井郷か)を想定するのは妥当性があると思われる。〔中世〕文治五年(一一八九)の奥州合戦後、当地を含む置賜地方は大江広元の次男時広を祖とする長井氏に与えられたと思われ、成島(なるしま)八幡宮(現米沢市)の正安二年(一三〇〇)六月一七日銘の棟札に「当地頭長井掃部守大江朝臣宗秀」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長井市」の意味・わかりやすい解説 長井〔市〕ながい 山形県南部中央,最上川の上流部,長井盆地にある市。北西部は朝日山系の山岳地帯で,東部は最上川が,南部の飯豊山に源を発する白川,中央部で朝日山系に源を発する野川を合流して北流する。 1954年,長井町,長井村,西根村,平野村,伊佐沢村,豊田村が合体し市制。鎌倉時代,置賜郡の地頭であった大江時広が長井氏を名のり,一円を長井荘としたことに地名は由来するといわれる。中心市街地は伊達藩片倉氏の城下町として発達。江戸時代に米,青苧 (あおそ) の輸送のため黒滝の難所が開削され,北部の宮は船着場として繁栄した。長井盆地の米作を中心に,野菜,果樹栽培や畜産も行われる。付近の養蚕地帯を背景に藩政時代から長井紬を特産。製糸,織物工業のほか弱電関係の工場が立地。伊佐沢の久保ザクラは天然記念物。山形鉄道フラワー長井線が通る。面積 214.67km2。人口 2万6543(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by