日本歴史地名大系 「二河原部村」の解説 二河原部村にかわらべむら 大阪府:南河内郡千早赤阪村二河原部村[現在地名]千早赤阪村二河原辺(にかわらべ)水分(すいぶん)村の南にある。南東部の山中上城(かみんじよ)に二河原辺城跡、北部の芝城(しばんじよ)に浄心寺(じようしんじ)塞跡があり、ともに元弘二年(一三三二)楠木正成の設けたものという(大阪府全志)。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高一六一石余、うち一五二石余が幕府領、九石余が金剛山転法輪(てんぽうりん)寺(現奈良県御所市)領。幕府領分の領主の変遷は水分村に同じで、転法輪寺領は幕末まで続きともに高の変化なし。寛政六年(一七九四)の二河原辺村宗旨御改帳(新田家文書)によると家数四四、うち一は村道場常楽(じようらく)寺(大念仏宗、無住)、檀那寺は大(だい)ヶ塚(つか)村大念(だいねん)寺(現河南町)と水分村超勝(ちようしよう)寺。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報