南河内郡(読み)みなみかわちぐん

日本歴史地名大系 「南河内郡」の解説

南河内郡
みなみかわちぐん

面積:一〇二・二六平方キロ
美原みはら町・狭山さやま町・太子たいし町・河南かなん町・千早赤阪ちはやあかさか

府の南東部、旧河内国の南部にある。明治二九年(一八九六)安宿部あすかべ・古市・丹南・八上やかみ・石川・錦部にしごりの各郡と志紀郡の一部をもって一郡を置き、その位置から南河内郡と称した。成立当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。現在の郡域は富田林とんだばやし市を間に挟んで東側に北から太子町・河南町・千早赤阪村、西側に美原町・狭山町があり、北は松原市・羽曳野はびきの市、東は奈良県北葛城きたかつらぎ香芝こうのしば町・當麻たいま町・新庄しんじよう町、同県御所ごせ市・五條ごじよう市、南は河内長野市、西は堺市に接する。地形は東・南・西に高く、東側を石川の支流千早川とその支流水越みずこし川、うめ川などが北西流し、西側は大和川の支流東除ひがしよけ川・西除川が北流する。北東部を国道一六六号、西北部から東南部を同三〇九号、西南部を同三一〇号が通る。

〔原始〕

太子町と當麻町にまたがる二上にじよう山は金剛山地北部にあり、二上火山群とよばれる火山岩および火山砕屑岩類から構成される。北麓はサヌカイト(黒雲母讃岐岩)の近畿での主要な原産地で、旧石器時代から弥生時代にかけて継続して利用された。太子町に穴虫峠あなむしとうげ遺跡があり、おびただしい遺物が散布する。美原町で弥生時代のものと思われるスクレーパーなどが発見されており、河南町東山ひがしやま山城やましろでは弥生時代の高地性集落遺跡が確認されている。太子町の金剛山地山麓では袈裟襷文銅鐸が二個出土し、ほかに二個の出土が伝えられる。

〔古代〕

古墳時代には羽曳野丘陵狭山丘陵の間を北流していた西除川・三津屋みつや川を堰止めて狭山池が造られ、この地域の灌漑に貢献した。この例にみるように、南河内の開発は早くから進められ、古墳時代以降多くの遺跡が残る。なかでも著しいのは古市郡を中心とする地域の古墳であるが、当郡域では美原町の黒姫山くろひめやま古墳が六基の陪冢を伴ったと考えられる前方後円墳として知られる。五、六世紀には河内の平野部の開発が進み、屯倉が各地に置かれ、また瀬戸内海の海運が発達して住吉・難波の津が栄えた。南河内の北部は、経済的に重要性の増した河内の平野部と、政治上の中心である大和盆地南部とを結ぶ交通上の要地となった。当郡域では太子町の二上山北部にある穴虫峠、南部にある岩屋いわや峠・竹内たけのうち峠、河南町の平石ひらいし峠・岩橋いわはし峠などで大和に通じた。穴虫峠は「古事記」「日本書紀」にみえるおお坂にあたると考えられ、同じく記紀にみえる「当摩径たぎまみち(当麻道)は竹内峠越とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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