二重堀村
ふたえぼりむら
[現在地名]小牧市二重堀
下末村の西にある。集落は北島・南島が南北に続いている。織田信雄分限帳に「尾、二重堀 弐百貫」とある。村の東側を大山川が流れ、川沿いの湿地帯が水田として最初に開発され、その後、入鹿用水や新木津用水の開削によって二重堀入鹿新田や子新田・未新田・亥新田などが相次いで開かれた。「徇行記」によると田は三〇町三反余、畑は八町四畝余、概高五九六石のうち五〇七石余が藩士一五人の給知。寛文一一年(一六七一)には家数一六、人数一五二(寛文覚書)。「麦ハ実リアシキ村ナリ、サレハ元来麦成ノ年貢モ無之」(徇行記)とある。
新木津用水と大山川とが交差する運天には特別の杁樋門を造って合流する二つの川の水量を調節していた(昭和四〇年頃新木津用水が改修され運天付近の水路も変えられた)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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