明治三二年(一八九九)に廃川となった
承安五年(一一七五)正月一八日書写の大般若経巻二百三十一奥印記勧請文(七寺蔵)に「伊勢内外(中略)多度・津嶋・南宮・千代」とあるのが、文献上の初見である。津島は式内社ではないが、式内大社の伊勢国弁
所当
之由事」とあって、津島社の板垣冠者が参議藤原親信の荘園年貢所当を弁納しなかったことを訴えられたが、却下無処置になっている。
一二世紀段階では「津嶋社」とよばれたが、以後、明治元年の神仏分離までは津島
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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愛知県津島市神明町に鎮座。建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、大穴牟遅命(おおなむちのみこと)を祀(まつ)る。古くは津島牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と称し、創建年代は不明だが、社伝では欽明(きんめい)天皇の御代(みよ)と伝える。戦国時代、織田信長は当社を氏神として尊信し、1598年(慶長3)豊臣(とよとみ)秀吉が社領を寄進し、社殿を修復している。現在の楼門は1591年(天正19)、本殿は1605年(慶長10)の建築で、いずれも国の重要文化財。ほかに大原真守作の太刀(たち)、長船長光(おさふねながみつ)作の剣が国の重要文化財。旧国幣小社。例祭は6月15日。津島川祭(尾張(おわり)津島天王祭)は、7月第4土曜夜の宵祭(よいまつり)(提灯(ちょうちん)祭)と翌日の朝祭(車楽(だんじり)祭)の二つの船祭を中心とする神事。講社大祭には各地の当社講員が年番で太々神楽(だいだいかぐら)を奉納する。
[白山芳太郎]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…民俗芸能。湯立(ゆだて)を中心とした芸能で,愛知県北設楽(きたしたら)郡設楽町三都橋(みつはし)の津島神社で,11月17日に近い土・日曜に演じられる。舞場中央に湯釜を据え,釜のまわりで稚児舞・不動舞・恵比須舞・毘沙門舞・太平楽・大黒天舞・弁財天舞・駒・寿老人・布袋(ほてい)・福禄寿・殿面の舞・獅子舞などが舞われる。…
…人口6万3723(1995)。平安時代末から津島神社の門前町,また伊勢桑名と結ぶ港町として栄え,戦国時代には織田氏の領地となり,六斎市が開かれていた。江戸時代は尾張藩領で代官所が置かれ,藩の奨励で白木綿などの綿織物業が盛んとなった。…
…愛知県の津島神社の夏の大祭。津島神社は牛頭天王(ごずてんのう)を祭神とし疫病よけの神として著名で,京都の八坂神社,兵庫の広峰神社とともに天王信仰の中心地として,各地の夏祭に大きな影響を与えた。…
※「津島神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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