二階町二丁目(読み)にかいまちにちようめ

日本歴史地名大系 「二階町二丁目」の解説

二階町二丁目
にかいまちにちようめ

[現在地名]鳥取市二階町二丁目・元魚町もとうおまち一丁目

二階町一丁目の北西に続く智頭ちず街道筋までの両側町。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち上構二〇町の一町として起立された(因幡志)。一名檜物屋ひものや町ともいい、その名は檜物師が軒を連ねて島台・鉢兜・曲物・指物・片へら偶人などを製造していたことにちなむという(鳥府志)。寛永一一年(一六三四)の竈数二一(因幡志)。安永七年(一七七八)の家数六五、表口間数合せて一二七間余、町役負担八九人余、賦課比率の等級は中に定められる。諸役御免の役者三沢又兵衛拝領屋敷、御用檜物師高田清六拝領屋敷などがあり一一間半を占めていた(町方御定)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む