忍頂寺村(読み)にんちようじむら

日本歴史地名大系 「忍頂寺村」の解説

忍頂寺村
にんちようじむら

[現在地名]茨木市忍頂寺

大岩(おおいわ)村の北に位置し、竜王(りゆうおう)山の南斜面に集落が展開する。村の西側を亀山(かめやま)街道が通る。元和初年の摂津一国高御改帳には「丹頂寺」、「摂陽群談」には「世俗爾天宇路村と称す」とあるので、「にちょうじ」ともいったと思われる。「摂津志」には「旧名鳥居」とある。中世、京都仁和寺領忍頂寺五ヶ庄(にんちようじごかのしよう)の一村で、忍頂寺の所在地。「寺辺(じへん)村」ともよばれ、仁治二年(一二四一)一一月日付の忍頂寺寺辺村所当米散用状(仁和寺文書)によれば、寺辺村は本田一六町四反余で一二の名からなっており、大岩村・大門寺(だいもんじ)村付近も含んだとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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