ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五・一三暴動」の意味・わかりやすい解説 五・一三暴動ご・いちさんぼうどうMay 13 Disturbances マレーシアにおける人種暴動。アブドゥル・ラーマン政権は独立以来「多民族融和」を唱えつつも,現実には経済的実権をもつ中国系住民に対して,政治,軍事,宗教,教育,言語などでマレー人優先政策をとってきた。 1969年5月 10日の総選挙の結果,与党連盟党が後退する一方,支持基盤が中国系住民で「マレーシア人のマレーシア」を唱えた民主行動党とマレーシア人民運動党の野党が躍進した。 13日,両党の祝勝デモと統一マレー人国民組織側のデモが衝突,死者は 196人に上った。 14日,国王は全国に非常事態を布告,憲法と議会を停止し,国家作戦評議会が執行機関となった。後継ラザク政権は 70年以降,ルクネガラ (五大基本方針) 公表,マレー人の特権維持のための憲法改正,新経済政策導入など一連のブミプトラ政策を展開した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by