五城目城(読み)ごじょうめじょう

日本の城がわかる事典 「五城目城」の解説

ごじょうめじょう【五城目城】

秋田県南秋田郡五城目町の森山にあった安土桃山時代から江戸時代の初めにかけての山城(やまじろ)。天正年間の安東氏(秋田氏)の内紛(湊合戦)の後、五城目(五十目)地域を支配した藤原内記秀盛の居城とされる。藤原氏はこののち五十目氏を称するようになり、市や座を保護し五城目の基礎をつくった領主とされている。城跡には帯郭物見の跡が残り、また発掘調査で整地、盛地跡、柵列跡が確認されたほか、森山の麓に城主の屋敷跡も確認された。この城は秋田氏の常陸国宍戸への転封に伴い破却された。本来の五城目城は天守を持たないが、現在城跡のある森山中腹には模擬天守が建っており、内部は森林資料館になっている。秋田自動車道五城目八郎潟ICから車で約10分。◇砂沢城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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