森山(読み)もりのやま

日本歴史地名大系 「森山」の解説

森山
もりのやま

摩耶まや山地支脈の北端にある小丘陵。標高一二一・五メートル。北西麓に下清水しもしみず・中清水・上清水の集落がある。平野部から眺めると三つの峰があることから三森みつもり山ともよばれる。当山は死者の魂の集まる霊地「もりの山」とされ、信仰圏は庄内だけでなく新潟・秋田両県にもおよんでいたともいう。下清水の曹洞宗天翁てんのう寺の縁起によれば、背後の森山は行基が来山し、亡霊のために大施餓鬼供養を行ったことから霊場となったという。

森山
もりやま

五城目町と八郎潟町の境界線上、馬場目ばばめ川谷口の北西にある独立峰。標高三二五・四メートルで、石英安山岩などの火成岩からなる。

南麓斜面の岡本おかもと鈴虫が群生し、県天然記念物となっている。さらに下った畑地下台しもだいは縄文晩期の遺物を包含する。東麓の前平まえひら山に五城目内記秀盛の古城跡があり(六郡郡邑記、秋田風土記)、昭和三一年(一九五六)近くの羽黒前はぐろまえから江戸中期の砂沢すなざわ古窯跡が発見された。

馬場目川三角州地帯にそびえ立つため遠望に優れ、八郎潟漁船の目印ともなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「森山」の意味・わかりやすい解説

森山
もりやま

長崎県北高来(きたたかき)郡にあった旧町名(森山町(ちょう))。現在は諫早市(いさはやし)の東南部を占める。旧森山町は1969年(昭和44)町制施行。2005年(平成17)諫早市に合併。北は有明(ありあけ)海、南は橘(たちばな)湾に面し、東部は島原(しまばら)半島に接する。有明海に臨む旧町域の北半分は享保(きょうほう)年間(1716~1736)以来、昭和期に至る270余年間に干拓された干拓平野である。1963年(昭和38)の国営諫早干拓地(400ヘクタール)のあとも、「国営諫早湾干拓事業」としての事業は進められ、1997年(平成9)4月に関門が閉じられ水位が下げられた。しかし環境保全を訴える運動や、減反政策の進む中で干拓事業に対する見直しの声も高まってきている。すでに干拓の終わったところでは、機械化が進み、協業化による農業合理化が計られ米作をはじめとして九州有数の優良農地になっている。干拓地には、島原鉄道、国道251号が通じ、雲仙(うんぜん)への観光ルートにあたる。南部は丘陵地で、ミカン栽培が盛ん。南岸の唐比(からこ)は潟湖(せきこ)の埋積した湿地帯で、レンコンの産地となっている。付近に水晶観音がある。

[石井泰義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「森山」の意味・わかりやすい解説

森山
もりやま

長崎県南東部,諫早市南東部の旧町域。島原半島基部の地峡部にある。1969年町制。2005年諫早市,飯盛町,小長井町,高来町,多良見町と合体して諫早市となる。諫早湾に面する干拓田の面積は約 7.7km2で,そのうち 1948年から造成されてきた国営諫早干拓地は 4km2に及ぶ。1989年にはより大規模な諫早湾干拓事業が始まった。南部の唐比(からこ)では温泉を中心として観光開発が進められている。

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改訂新版 世界大百科事典 「森山」の意味・わかりやすい解説

森山 (もりやま)

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