五女子村(読み)ごによしむら

日本歴史地名大系 「五女子村」の解説

五女子村
ごによしむら

[現在地名]中川区五女子町・荒江あらえ町・小山こやま町・畑代はたしろ町・八熊やぐま通・柳川やながわ町・なが町・八幡やはた町・八幡本やはたほん通・石場いしば町・八島やしま町・尾頭橋おとうばし通・八神やがみ

東は一部ほり川を越し、西は二女子にによし村である。村中央を佐屋路が東西に通る。寛文一一年(一六七一)の家数八一、人数四六三(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田畑五七町八反余のうち田が四〇町五反余。本田九町六反余が堀川開削のためつぶれ、新田一町八反余が本田に加えられた。概高一千一五三石余が藩士二〇人の給知。みや宿(現熱田区)への助郷村。寛文七年検地の山方新田に堀川の尾頭船番所があり、宝暦五年(一七五五)より証文引。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む