改訂新版 世界大百科事典 「五辻宮」の意味・わかりやすい解説
五辻宮 (いつつじのみや)
鎌倉末から室町時代における宮家で,早い時期に成立した世襲親王家として注目される。現在の京都市上京区西五辻東町に殿宅があったのにちなむ。初代は亀山天皇の子守良親王で,出家し覚浄(覚静とも)と号し,1327年(嘉暦2)相伝した五辻屋地を持明院統の鎌倉宮将軍久明親王の子と思われる式部卿若宮(熙明親王か)に譲った。建武中興時には守良親王の子と思われる宗覚との間に相論があったが,南朝方の将として各地に転戦した守良親王方の没落に伴い,熙明親王の子孫が宮号を襲封した。この一統は後深草天皇の皇孫であるのにちなみ,深草宮とも呼ばれ,代々伏見・花園院の猶子となって室町時代に至る。熙明親王の子は出家して祥益と号し,その子に幸宮久世・周勝・下宮宗璨があった。その後の系統は判然としないが,永享(1429-41)ころまでは確認できる。この間,宮家領は東福寺海蔵院,天竜寺などに寄進され,同寺の文書中に家領の記事が散見する。
執筆者:後藤 紀彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報