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亀山天皇 かめやま てんのう

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美術人名辞典の解説

亀山天皇

第九十代天皇。御嵯峨天皇の第三皇子、母は大宮院結子、名は恒仁。父母に寵愛され、兄後深草天皇を措いて天皇親政を行ったため、大覚寺統(亀山系)と持明院統(後深草系)の対立がおこる発端となる。皇子後宇多天皇に譲位し、院政を開始、『弘安礼節』を制定する等意欲的に政治を行った。『続拾遺集』の選進を命じるなど和歌・漢詩文を能くした。嘉元3年(1305)崩御、57才。

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デジタル大辞泉の解説

かめやま‐てんのう〔‐テンワウ〕【亀山天皇】

[1249~1305]第90代天皇。在位、1259~1274。後嵯峨天皇の皇子。名は恒仁。大覚寺統持明院統の争いがこの時期に始まる。譲位ののち13年間院政を行った。出家後、離宮を禅寺としたのが南禅寺のはじまり。

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百科事典マイペディアの解説

亀山天皇【かめやまてんのう】

鎌倉中期の天皇。在位1259年―1274年。後嵯峨天皇第3皇子。後宇多天皇に譲位後院政を行い,院政中文永・弘安の役に際会した。1289年出家して金剛源(こんごうげん)と称した。
→関連項目後宇多天皇弘長新制後深草院二条後深草天皇八条院領臨川寺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

亀山天皇 かめやまてんのう

1249-1305 鎌倉時代,第90代天皇。在位1260*-74。
建長元年5月27日生まれ。後嵯峨(ごさが)天皇の皇子。母は藤原姞子(きつし)(大宮院)。大覚寺統最初の天皇。同母兄後深草天皇の譲位により即位。父が院政をおこなう。子の後宇多天皇に譲位して,兄をさしおいて院政をしいたことなどもあり,大覚寺(亀山),持明院(後深草)両統対立がおこる。嘉元(かげん)3年9月15日死去。57歳。墓所は亀山陵(みささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は恒仁(つねひと)。法名は金剛眼。
【格言など】世のために身をばをしまぬ心ともあらぶる神はてらしみるらむ(「亀山院御集」)

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世界大百科事典 第2版の解説

かめやまてんのう【亀山天皇】

1249‐1305(建長1‐嘉元3)
第90代に数えられる天皇。在位1259‐74年。後嵯峨天皇の第3皇子,名は恒仁。母は西園寺実氏の娘大宮院姞子。父天皇のはからいで兄後深草天皇の譲りをうけて即位し,ついで皇子(後宇多天皇)に位を譲って大覚寺統の皇統をひらき,持明院統との対立のもとをつくった。後宇多天皇の在位中は上皇として院政をしいた。この間1274年(文永11),81年(弘安4)にモンゴルの襲来があり,上皇は身をもって国難に殉ぜんとの祈願を伊勢神宮にささげた。

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大辞林 第三版の解説

かめやまてんのう【亀山天皇】

1249~1305) 第九〇代天皇(在位1259~1274)。名は恒仁つねひと。後嵯峨天皇の皇子。後宇多天皇に譲位後、院政を行なった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

亀山天皇
かめやまてんのう

[生]慶長1(1249).5.27. 京都
[没]嘉元3(1305).9.15. 京都
第 90代の天皇 (在位 1259~74) 。名は恒仁。後嵯峨天皇の皇子,母は大宮院きっ子。幕府のはからいで皇位を兄後深草天皇の子孫 (持明院統) と交互に継承することとなり,正元1 (59) 年即位。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

亀山天皇
かめやまてんのう
(1249―1305)

鎌倉中期の天皇(在位1259~74)。名は恒仁(つねひと)。後嵯峨(ごさが)天皇の第3皇子。建長(けんちょう)元年5月27日生まれ。母は西園寺実氏(さいおんじさねうじ)の娘大宮院(おおみやいんきっし)で、後深草(ごふかくさ)天皇の生母。後嵯峨上皇は兄後深草天皇よりも弟亀山天皇を愛し、後深草天皇の子を差し置いて亀山天皇の子(後宇多(ごうだ)天皇)を立太子させた。大覚寺(だいかくじ)・持明院(じみょういん)両統迭立の端緒である。亀山天皇は在位15年で皇位を後宇多天皇に譲り、院政(1274~87)を開始して朝政の実権を握った。文永(ぶんえい)・弘安(こうあん)の役のあった緊迫した時期である。鎌倉幕府の弘安の改革に呼応して「徳政」を進め、評定(ひょうじょう)制を大改革するなどその院政は意欲的であった。出家後離宮を禅寺としたが、これが南禅寺(なんぜんじ)の起源である。嘉元(かげん)3年9月15日没。陵墓は京都・亀山陵。[黒田弘子]

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世界大百科事典内の亀山天皇の言及

【両統迭立】より

…鎌倉時代後半,天皇家が後深草天皇系(持明院統)と亀山天皇系(大覚寺統)の両統に分裂して皇位継承を争った時期に,妥協策として両統から交互に皇位につくとされた原則。後嵯峨法皇は第3子後深草上皇よりも第7子亀山天皇を愛し,後深草の皇子熙仁親王を退けて亀山の皇子世仁親王を皇太子に立てたが,承久の乱(1221)後鎌倉幕府が皇位継承問題に干渉することが多く,それを顧慮した後嵯峨法皇は死に際して後深草,亀山のいずれを〈治天の君〉(天皇家の惣領)とすべきかの決定を幕府の指示にゆだねた。…

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