日本歴史地名大系 「五郎右衛門新田村」の解説 五郎右衛門新田村ごろうえもんしんでんむら 兵庫県:西宮市五郎右衛門新田村[現在地名]西宮市堤町(つつみちよう)・上之町(かみのちよう)・日野町(ひのちよう)・北昭和町(きたしようわちよう)・南昭和町(みなみしようわちよう)・両度町(りようどちよう)・高松町(たかまつちよう)・田代町(たしろちよう)・瓦林町(かわらばやしちよう)・松山町(まつやまちよう)上瓦林村の北、武庫(むこ)川下流右岸にある武庫郡の村。下(しも)新田村に対し中新田ともいい、また五郎右衛門新家(ごろうえもんしんけ)・中新家・上瓦林新家・上瓦林新田などともいった。もと武庫川と除け堤に挟まれた荒蕪地で上瓦林村に属した。武庫川堤の完成と返堀(新堀川)の掘削により開発が可能となり(→下新田村)、寛永一九年(一六四二)上瓦林村の五郎右衛門を中心に権右衛門ほか数名によって開発された(「馬落之用水ニ付指上申訴状」岡本家文書)。初め尼崎藩領。寛文四年(一六六四)から尼崎藩青山氏分家の幸正系の旗本青山領(兵庫史学)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by