日本歴史地名大系 「新堀川」の解説
新堀川
しんぼりがわ
新堀ともいう。浅草寺の北方、
新堀川
しんぼりがわ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新堀ともいう。浅草寺の北方、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…荒川が平野の西寄りに北流し,支流の矢代,飯田,保倉の各川が複合扇状地を形成しており,段丘化した南部は排水がよい。海岸には頸城砂丘が発達し,背後は低湿地となって潟湖群が見られ,江戸末期には砂丘に排水路の新堀川が掘削されて大潟が,また1973年には犀ヶ池(さいがいけ)が干拓された。平野の開発は条里制の遺構の見られることから古いと考えられるが,江戸時代に荒川上流の関川を水源とする上江,中江,下江,稲荷中江の用水路が開削され,穀倉地帯が形成された。…
…町数は1694年(元禄7)に萩城下本町41,浜崎13であったが(《元禄御国目付記》),1716年(享保1)城下本町で増加して合計58町となり(《巡見御目付集》),以後幕末まで変動はなかった。たびたび洪水に見舞われたため,中央部に1687年(貞享4)新堀川,1739年(元文4)藍場川を開削し,松本川下流に1855年(安政2)姥倉運河を開通させて排水を行い,灌漑や舟運に利用した。1863年(文久3)藩庁が山口に移転したため,萩は城下町の機能を失い,経済的にも大きな打撃を受けた。…
※「新堀川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新