五関村(読み)ごせきむら

日本歴史地名大系 「五関村」の解説

五関村
ごせきむら

[現在地名]浦和市五関・昭和しようわ

領家りようけ村の西に位置し、同村境をかも川が流れる。荒川の沖積低地に立地し、自然堤防が発達している。八貫野はちかんのに持添新田がある。田園簿では田三石余・畑一四〇石余で、幕府領と旗本小笠原領の相給。寛文(一六六一―七三)頃幕府領分が旗本津金又十郎に与えられたが、のち上知となったという(風土記稿)。又十郎は寛文一一年に没し、次代の津金又右衛門は天和二年(一六八二)咎あって切腹を命じられ断絶となっているので(寛政重修諸家譜)、津金領が幕府領に復したのはこの時とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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