20世紀日本人名事典 「井上因磧」の解説 井上 因磧(15代目)イノウエ インセキ 明治・大正期の棋士(囲碁) 生年明治4年(1871年) 没年大正6(1917)年11月23日 出生地摂津国西宮(兵庫県) 旧姓(旧名)田淵 米蔵 経歴幼い頃に田淵家の養子となる。囲碁に夢中になり中学を中退、3年間親戚から囲碁を禁じられた。やがて14代目井上因磧に入門、34年一躍4段を許された。35年5段、43年6段を経て、大正5年7段となる。この間、明治39年15代目井上因磧を襲名。42年大阪に来た本因坊秀哉と対局、5局を連勝し、手合を定先に直した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by