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本因坊秀哉 ほんいんぼう しゅうさい

美術人名辞典の解説

本因坊秀哉

家元・本因坊二一世。東京生。旧幕臣田村保永の子。本名は田村保寿。本因坊秀に入門、のち本因坊二一世を襲名する。本因坊の名跡を日本棋院に寄付し、本因戦を創立した。昭和15年(1940)歿、67才。

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デジタル大辞泉の解説

ほんいんぼう‐しゅうさい〔ホンインバウシウサイ〕【本因坊秀哉】

[1874~1940]囲碁棋士。東京の生まれ。本名、田村保寿。19世本因坊秀栄の門下に入り、21世本因坊を継いで秀哉と号した。本因坊の名跡を開放して実力時代への門を開き、最後の世襲制囲碁名人となった。→本因坊

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百科事典マイペディアの解説

本因坊秀哉【ほんいんぼうしゅうさい】

囲碁棋士。東京生れ。本名田村保寿。1885年―1891年方円社に属したが,1892年金玉均の紹介で本因坊秀栄の門下生となり,1905年7段。1908年本因坊21世を襲名,秀哉と号し,1914年名人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本因坊秀哉 ほんいんぼう-しゅうさい

1874-1940 明治-昭和時代前期の囲碁棋士。
明治7年6月24日生まれ。本因坊秀栄に入門。明治41年本因坊21世をつぎ,大正3年世襲制最後の名人となる。13年日本棋院の創立に参加。昭和12年本因坊の名跡(みょうせき)委託を決意,13年木谷実を相手に名人引退碁を打った。昭和15年1月18日死去。67歳。東京出身。本名は田村保寿。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほんいんぼうしゅうさい【本因坊秀哉】

1874‐1940(明治7‐昭和15)
囲碁名人。本名田村保寿。東京出身。初め方円社の塾生,後に本因坊秀栄(1852‐1907)の門下となる。秀栄没後,後継者をめぐって雁金(かりがね)準一(1879‐1959)と争わなければならなかったが,秀栄の実弟秀元の援助により,1908年,21世本因坊,14年終身制最後の名人となる。力戦型の碁風で,従来の布石重視の風潮に転機をもたらした。大正期の碁界は秀哉の指導のもとに展開した。23年中央棋院が設立されると,本因坊家の免状発行権を譲渡,免状発行権はさらに翌24年に設立された日本棋院に引き継がれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

本因坊秀哉
ほんいんぼうしゅうさい

[生]1874. 東京
[没]1940
囲碁名人。本名田村保寿。初め方円社の塾生で2段 (当時,方円社は級位制で第8級) までなったが,1891年脱社して段 (級) 位を剥奪され,無段となった。翌年本因坊秀栄の門に入って「飛びつき4段」を許された。 1905年7段に昇段,師の域に近づいた頃から疎遠となり,07年2月の秀栄没後,未亡人まき子の支持する雁金準一と本因坊継承問題を起した。隠居秀元 (16世および 20世本因坊) の支持により,1年だけ 20世を再襲,21世本因坊秀哉となったのは 08年2月。その秋8段に進み,14年名人に就位。 23年方円社と合同して中央棋院を創立した際免状発行権を譲渡し,それが翌年創立の日本棋院に受継がれた。 36年,毎日新聞社 (当時は東京日日新聞,大阪毎日新聞両社) ,日本棋院とはかって本因坊家の世襲制を廃し,新時代の選手権者に名跡を継承させることに踏切った。それが本因坊戦である。 38年予選を勝抜いた木谷実7段との対局が引退碁。

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世界大百科事典内の本因坊秀哉の言及

【本因坊】より

…18世秀甫(しゆうほ)(村瀬秀甫)は奔放な碁風で知られるが,1879年方円社を創設し,権門の庇護を離れた碁を,日本中津々浦々まで広めた功績で高く評価される。21世秀哉(しゆうさい)(本因坊秀哉)は最後の世襲本因坊で,その引退をもって本因坊の名跡は,本因坊位継承全日本専門棋士選手権戦(通称本因坊戦)のタイトルとして生まれかわった。第1期の本因坊戦が開始されたのは1939年のことで,関山利一六段が就任した。…

※「本因坊秀哉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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