井上士朗宅跡(読み)いのうえしろうたくあと

日本歴史地名大系 「井上士朗宅跡」の解説

井上士朗宅跡
いのうえしろうたくあと

[現在地名]東区泉二丁目

しん町の大光だいこう寺境内隣接地にあった。居室の四窓にそれぞれ名が付けられていた。南は庭前の名樹赤松にちなみ朱樹。西を枇杷園、北を緑萼、東を望山月。彼の通称・別号の松翁・朱樹叟・枇杷園はすべてこれによる。ほかに仙庵。初め支朗と書いた。春日井郡小幡おばた(現守山区)に生れ、名古屋の町医井上氏を継ぎ、とくに産婦人科に優れた(枇杷園句集)。寛政元年(一七八九)本居宣長に入門して国学を修め、平曲は荻野検校に学んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む