日本歴史地名大系 「井土ヶ谷村」の解説 井土ヶ谷村いどがやむら 神奈川県:横浜市南区井土ヶ谷村[現在地名]南区井土ヶ谷〈上(かみ)町・中(なか)町・下(しも)町〉・永田東(ながたひがし)一丁目東は大岡(おおか)川の対岸に蒔田(まいた)村、西は永田村、南は弘明寺(ぐみようじ)村・下大岡(しもおおか)村、北は太田(おおた)村に接する。大岡川は下大岡・弘明寺両村の境を北東の蒔田村に達する。水除堤がある(風土記稿)。村名の由来は村内に井戸があったこと、あるいは地形がくぼんでいることからの二説を「風土記稿」はあげる。太田村から村内を金沢(かねさわ)道・鎌倉道が通る。小田原衆所領役帳に、森新三郎「五拾八貫三百弐拾九文 久良岐郡井出ケ谷」とみえる。近世は幕府直轄領、元禄四年(一六九一)江戸湯島聖堂領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by