日本歴史地名大系 「井田原村」の解説 井田原村いだわらむら 福岡県:糸島郡志摩町井田原村[現在地名]志摩町井田原稲留(いなどめ)村の東に位置し、北は吉田(よしだ)村、南は初(はつ)村。火(ひ)山南東麓にあたり、東西を丘陵に挟まれ、前原(まえばる)村(現前原市)と桜井(さくらい)村・野北(のぎた)村を結ぶ道が南北に通る。永仁五年(一二九七)一〇月二八日の少弐盛経書下(中村文書/鎌倉遺文二六)に怡土(いと)庄内末広(すえひろ)名をめぐり中村弥二郎続と相論した伊田原二郎馴がみえ、伊田原氏は当地を名字の地とする領主であろう。応安六年(一三七三)九月二九日、今川了俊は松浦有浦祝が「筑前国怡土志摩庄内井田原」に乱入し城郭を構えたことを問いただし、城を破却し参陣するよう命じている(「今川了俊書下」東京大学文学部所蔵斑島文書/南北朝遺文(九州編)五)。同年と推定される閏一〇月二二日の今川了俊書状写(有浦文書/南北朝遺文(九州編)五)では、伊田原の地下城のことは認め、乱入を止めるよう有浦祝に命じている。同年一二月一二日の今川頼泰書状写(同上)には「伊田平」とみえ、当地に関する権利を波多下野守(広)が主張している。年未詳七月二五日の今川仲秋書状(斑島文書/南北朝遺文(九州編)六)によると「いた原」は波多下野守の当知行地とされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by