志摩町(読み)しままち

日本歴史地名大系 「志摩町」の解説

志摩町
しままち

面積:五四・五四平方キロ

県の北西端、糸島郡の北半を占める。糸島半島の西半部にあたり、北は玄界灘、西は唐津湾に面する。東は福岡市西区、南は前原まえばる市および海を挟み二丈にじよう町。おもな道路に主要地方道福岡―志摩―前原線、同福岡―志摩線がある。中央部の可也かや山や(二四四・一メートル)など山地・丘陵が広がり、その間を玄界灘に注ぐ桜井さくらい川や、はつ川・沖田おきた川などが流れる。南西部には引津ひきつ湾・船越ふなこし湾がある。糸島半島西端から西約四キロにはひめ島があり、岐志きしからの渡船で結ばれている。町域は古代以来、志摩郡の西半部を占めた。観世音寺(現太宰府市)領の船越庄成立し、中世は大半が怡土いと庄に含まれた。江戸時代は福岡藩領で、町域には志摩郡の二〇村があった(続風土記附録)

志摩町
しまちよう

面積:一七・六五平方キロ

志摩半島南端先志摩さきしま半島の大部を占める。先島さきしまとも崎島さきしまとも書かれる地域で、西と南は太平洋(熊野灘)に、北は英虞あご湾に面し、東は深谷ふかや水道を隔てて大王だいおう町に接する。南方海上にはおお島・島・かみの島の属島があり好漁場地をなしている。太平洋岸には砂浜が断続しているが黒潮による浸食が著しい。英虞湾側はリアス海岸をなす。陸地は標高二〇―四〇メートルの隆起海食台地で、最高は西端近くにある金比羅こんぴら(九九メートル)。交通は国道二六〇号が東西に貫通している。

明治二二年(一八八九)の町村制施行時は片田かただ村・布施田ふせだ村・和具わぐ村・越賀こしか村・御座ござ村でいずれも英虞郡に属していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報